Phenomena写真集
『フトマニクシロ・ランドスケープ』出版記念関連EVENT
at ギャラリー册(東京)/DOMMUNE /PEPPERLAND
2018.1.11〜3.10 at ギャラリー册
写真展「フトマニクシロ・ランドスケープ」&出版記念パーティ
2018.1.25 DOMMUNE
写真集『フトマニクシロ・ランドスケープ』トーク & 遊神LIVE
『フトマニクシロ・ランドスケープ 建国の原像を問う』
トーク:武田崇元氏(古神道霊学)+写真家集団 Phenomena+能勢伊勢雄
2018.3.30 at 岡山PEPPERLAND
写真集『フトマニクシロ・ランドスケープ』出版記念Talk & Live 複眼で紐解く建國の原像・布斗麻邇寄代
Talk(Phenomena,武田崇元,池本喜巳,梅林信二) & Live(増間)
2017年12月に写真家集団Phenomenaの写真集『フトマニクシロ・ランドスケープ』が水声社より刊行され、出版記念パーティや写真展、トーク & LIVEが東京、岡山にて行われた。写真展「フトマニクシロ・ランドスケープ」は、東京のギャラリー 册で開催され、初日の出版記念パーティでは、能勢とPhenomenaのメンバーに水声社の井戸亮氏、デザイナーの宗利淳一氏を交えたオープニングトークが行われた。会場には写真集に寄稿文をいただいた神道霊学界の第一人者 武田崇元氏、「フトマニクシロ・ランドスケープ」作品を発表する機会をくださった大分県立美術館の館長 新見隆氏、美學校の校長 藤川公三氏をはじめ、お世話になっている沢山の方に来て頂いた。ギャラリー内には「フトマニクシロ・ランドスケープ」写真作品と能勢の「御霊石」の一部が展示された。
また1月末には、現代美術家 宇川直宏氏が主催するライブ・ストリーミングチャンネルDOMMUNEでのトーク & LIVEに能勢+Phenomenaが出演。遊神(a.k.a.imagenos)によるLIVEに続き、写真集のトークが行われた。作品制作の意図や背景となったコンセプトを紹介するとともに、武田崇元氏を迎えトークが行われた。後半はGuest DJによるLIVEもあり、5時間に渡るトーク & LIVEを会場やインターネットを通じてリアルタイムにストリーミングで体感いただいた。¶3月には、岡山PEPPERLANDにてトーク & LIVEイベントを開催。「複眼で紐解く建國の原像 布斗麻邇寄代」をテーマに、増間(フエルマ-近藤良(S.Sax)村岡充(Gu.)青木哲也(T.Sax)岩本象一(Dr.)新宅巧治郎(Tp.))の LIVE演奏から始まり、武田崇元氏、山陰を代表する写真家 池本喜巳氏、尾道市立美術館学芸員 梅林信二氏をゲストに、能勢、Phenomenaメンバーとのトークが行われた。「“我が国の建國の姿”を確認すること」を目的とした写真集の内容について、それぞれの専門分野である古神道霊学、写真、美術の観点から興味深い話を伺うことができた。
DOMMUNE「フトマニクシロ・ランドスケープ 建國の原像を問う」 伊吹圭弘(敦賀遊会主宰)
平成30年の元旦に『フトマニクシロ・ランドスケープ 建國の原像を問う』が届いた。それは我が家の郵便ポストに辛うじて収まっていた。能勢伊勢雄・監修、写真家集団Phenomena6名の写真集である。¶1月25日、時間に遅れてDOMMUNEにアクセスすると、最初は誰だかわからなかったが、演奏する遊神君が映っていた。写真家だけじゃなくミュージシャンとしてもDOMMUNE出演なんだと聴いていたら、演奏が終わりカメラが切り替わった。¶写真集『フトマニクシロ・ランドスケープ 建國の原像を問う』の対象のバックグラウンドについて、武田崇元氏の解説から始まった。¶¶写真についても、古神道などについても何も知らないため、これらの話を聴いてなるほどと納得していく。その話された内容も未知のものばかりなので僕などが咀嚼、解説できるものでもないが、写真集に寄稿している武田崇元氏、写真家集団Phenomena、椹木野衣氏、福田淳子氏、能勢さんの書かれていた内容だったので、Noteとして整理してまとめておくことにする。(各寄稿、『一匹狼の文化人on岡山』を参考・引用)¶¶①2013年の伊勢神宮の遷宮での公式記録写真集『遷宮』に写るものと、『フトマニクシロ・ランドスケープ 建國の原像を問う』に写るものとは対極のものである。¶¶<写真集の目的は何か。>¶¶②未開の地に人間が踏み入れ、その荒れ地を「見る」とき、単なる自然としての土地は神霊の宿るツチ(土)となる。→耕地と集落が形成されクニ(國)に変わる。=「國見」と呼ぶ。→生活の場となる安住の地を形成=「初國」。¶¶③敗戦から高度経済成長を経た日本の風景を被写体に、写真によって再び國見を行った高梨豊の写真集『初國』であり、この視点を古代にまで拡げ、もう一度、現在の”日本”を見直すことが写真集『フトマニクシロ・ランドスケープ』のテーマである。¶¶④写真集『フトマニクシロ・ランドスケープ』は、伊勢神宮成立の起源を辿る知られざる聖地の旅として構想された。写真集の目的は、日本の「初國」を追体験し、その姿を浮かび上がらせることである。=我が国の初國の姿を浮かび上がらせる。←日本國創建の地となった古代の霊地「布斗麻邇寄代(フトマニクシロ)」を写真で巡る。¶¶<撮影された布斗麻邇寄代(フトマニクシロ)とは何か。>¶¶⑤2000年以上昔の紀元前の第十代崇神天皇の御代に疫病や飢饉が蔓延し混乱した。その頃は、「同殿共床」といい、一つの社の中で天照大御神と天皇が共に寝起をしていた。国の混乱は天照大御神の神威を、天皇の霊力でもってしても抑えきれないことに原因があるのではないかということで、天照大御神をしっかりした場所にお祀りしようということになり、天照大御神の安住の地を探すことを天皇の皇女である豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)に命じた。豊鋤入姫命は巫女の霊能力を持つ皇女で、天照大御神の声を聞きながら御杖代(みつえしろ)となってお祀りする地を探し求めた。さらに、第十一代垂仁天皇の頃に改めてその皇女である倭姫命(やまとひめのみこと)に託(つ)け、倭姫命は天照大御神の鎮座地を求めて巡り、天照大御神の託宣により五十鈴川の川上に斎宮(いつきのみや)を建てた。これが伊勢神宮の起源である。¶¶⑥『日本書紀』にある伊勢神宮の起源説話を補完する、鎌倉時代初期に成立した『倭姫命世記』に第十代崇神天皇の皇女・豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)と姪・倭姫命(やまとひめのみこと)の二代による約80年間にわたる御巡幸の物語が遺されている。(群書類従『伊勢大神宮纂記』に遺された『倭姫命世記』に典拠するかたちで、従来の定説27箇所(本当は巡幸地は29箇所らしいが2箇所を確認できなかった)に1箇所を追加し、28箇所を撮影。)¶¶⑦御巡幸は、天照大御神と共に「國」を探し求める「國覓ぎ(くにまぎ)」の神業であり、各地で天照大御神を祀り神界を整えることで、神界の写しである國または民を治めることができる古神道本来の神事として執り行われた。御巡幸途上で天照大御神を祀った宮は、現在では「元伊勢」と言われている。¶¶⑧この御巡幸の地点を線で結んだ領域を、神道家・金井南龍は布斗麻邇寄代(フトマニクシロ)として読みなおした。=古神道において布斗麻邇寄代と呼ばれた霊線(=霊的な結界)が蘇った。=この領域に王(天皇)がいる限り安泰であるとされ、これが國土形成の要諦であった。¶¶<古代の神の姿を感取するための『古事記』の研究>¶¶⑨各巡幸地を調査、撮影をする上で、現代では見えにくくなった古代の神観念を理解する必要が生じた。その方法を探すなかで古神道靈學の研究者・本田親徳(ちかあつ)にたどり着いた。それは「宮居(みやい)」という方法で「自らの身体を宮とし神霊を迎え、霊に対しては霊で対する」というものであった。¶¶⑩一つの「神」を理解しようとしたら、自分の身体につけてしまえば良いわけで、自分自身がその「神」になれば話は早いということで、人間の身体をお宮にして、その中に神霊を呼びこむものである。その「宮居」を最初に行ったのが、江戸期の後半に立宗した黒住教の開祖、黒住宗忠ととらえた。そして本田親徳という先学の人が「宮居」を実践して古事記を読んだ。それは「霊をもって霊に対する」という行為で、帰神(自ら神霊を降ろす)により自らの身体を「宮居となす」方法を用いて『古事記』の研究を行なったわけである。¶¶⑪本田親徳のこの思想は高弟の大石凝真素美(おおいしごり・ますみ)に受け継がれ、この方法を基に本田親徳の古神道靈學を大石凝真素美が復興し、その高弟・水谷清により三大皇學「天津金木學」「天津祝詞學」「天津菅曾學」が体系化された。これらを用いて、古代の神の姿を感取する入り口として『古事記』を読み解きながら、神の要相、音声、心霊を知る方法の体得が試みられた。¶¶<Phenomenaが見ることになったもの>¶¶⑫Phenomenaが辿った天照大御神巡幸の聖地は、その多くは小さな神社、寂れた小祠であり、なかには社殿すらなく林の中にその名残を残すのみのところもあった。それが伊勢神宮をめぐる華々しくも空虚な言説の裏側である。そこにはブルーノ・タウトが定式化した日本的美などない。だが、Phenomenaの彼らは天照大御神の旅を追体験しながら、そこに潜む何かを「見る」ことによって、かそけき神の影像(かげとかたち)を浮かびあがらせる。¶¶こういった筋の内容の約2時間だった。写真のことも今回の写真集の内容も知らない僕にもよくわかるように解説してもらったという印象だった。¶写真撮影については、『フトマニクシロ・ランドスケープ』写真集出版記念イベントのNoteに書こうと思う。
神道自然学の全国展開です ⻄谷勝彦(水島楽器主宰)
『古事記』ほか所謂神話と呼ばれるわが国の古代文献が、実は自然原理・森羅万象生々流転の法則を語り尽くしている書であるという説明が改めて世に放たれたことは面白いことだ。DOMMUNE動画のアーカイブの中でも 異彩を放つものとして、今後も人の目に触れる機会を得たわけだ。それを見つけようとする者にしか見つけられないだろうが。と思う一方、何ゆえこれらの原理がただのオハナシのような扱われ方に堕してしまっているのかを考察すれば、いまやあらゆる人を覆う営みが、本筋からずれ続けた抜け殻のようになってしまっている理由を探り得る一助になるだろう。¶インターネット時代になり特に珍しいことでもないじゃろうけど、普段身近に居るお仲間達が、ネット上の公開された場で語る姿を拝見すると何かくすぐったいような気持ちになりました。しかし、しっかりと語ってくれていたので大丈夫です。
『フトマニクシロ・ランドスケープ』写真集出版記念イベントに参加して 伊吹圭弘(敦賀遊会主宰)
2018年3月30日に『フトマニクシロ・ランドスケープ』写真集(版元:水声社)出版記念イベントとして、武田崇元氏、池本喜巳氏、梅林信二氏と写真家集団Phenomenaのトークイベントがあった。¶1月11日のギャラリー册でのイベント(展覧会:1/11〜3/10)、1月25日のDOMMUNEのプログラムに引き続き、PEPPERLANDでの出版記念イベントは、ホームでの凱旋トークであるかのようにPhenomenaのメンバーもリラックスした雰囲気だった。¶¶ギャラリー册のWebページによると、「フトマニクシロ・ランドスケープ」は、2015年「山のシューレ2015」の展覧会を経て、2016年の大分県立美術館企画展「シアター・イン・ミュージアム」で作品の全体が発表されたとのことである。そして、岡山では、2017年に岡山県天神山文化プラザにおいて『Phenomena 写真最前線』として「フトマニクシロ・ランドスケープ」展覧会が催された。¶¶今回のトークイベントの前には増間(フエルマ)の演奏があった。¶まずは、増間の演奏を聴くのは初めてだったが、とても性に合った。¶¶イベントが始まる前に、武田崇元氏が近くにいたので、DOMMUNEでの話は聴いた、とてもよくわかり良かった、ここにいる人の多くはそれを聴いていると思うので、あの話をベースとして話すことができると思う、あれ以上の話、あの続き、あそこで公に話せなかったことを話してほしいとリクエストしておいた。カメラの前でなければもっと話したかったこと、話せることがあるのではないかと思ったのだ。¶¶大分県立美術館や岡山県天神山文化プラザでの写真の展覧会を見ることができなかったが、写真自体も何枚かを見ることもできた。写真集とは違い各箇所のセレクトされた写真であるが、視野に複数の写真を入れて見ることになり写真集とは違った見方ができた。そこで感じたのは、まるでスリットの向こうやある角度の影から見られているようなことだった。¶¶武田崇元氏の古神道などの今回の写真集対象の背景の話し、池本喜巳氏の写真にまつわる写真家としての話し、梅林信二氏の人間を超えたものなどの展示に関する話しが1時間ほどあり、能勢さんの進行によりゲスト3人とPhenomenaメンバーとの撮影の話とともにゲストへの質問をしながら進められた。そして、トーク時間の間スクリーンに写真集にある写真を一枚ずつ投影され560枚全てを投影し終わる頃に記念イベントは終了した。¶¶¶武田氏の古神道などの、写真集の背景などについては、1月のDOMMUNEでのNoteに書いたので、このNoteでは写真撮影について書いておこうと思う。¶¶①古代の神の姿を感取するために『古事記』の研究が行われ、そこから、「靈體二系神統の長和と闘争のミウムスヒ(結び)の中で、森羅万象が地上に生まれ出る仕組みが明らかにされる」ことが導き出された。¶¶②「人間が魂と身体を併せ持つように、万物は靈と體の結び付きにより初めてその姿を顕す」という「霊的視点から見るならば、倭姫命(やまとひめのみこと)が各々の土地で靈體二系の統一神である天照大御神を祀る術は、天界(靈)の力を地上界(體)が受け万物をかたちづくる「神道形態学」といえ、この方法は、「天界の”力”そのものは目に映らなくても、自然の形態をよく「見る」行為のなかで、その関係性を体験することができる。この意味で外界の作用と内的体験は一体であり切り離せないものといえる。」¶¶③神霊の働きもまた「かたち」の中に宿り、「かたち」を見ることによってもう一度、神霊を見出すことができる。このことは、「見る」ことから始まり事物のかたちのみを写し出すというカメラの特性を用いることで可能となり、写真でしか成し得ないことといえる。¶¶④身の回りを取り巻く風景に「神」の姿またその働きを感じ取る機会は今では少ない。古代、外界に遍在していた神霊は、現代では人の中に埋没し、それを取り出す作業が必要になっている。¶¶⑤『フトマニクシロ・ランドスケープ』の写真群は、豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)、倭姫命(やまとひめのみこと)が巡った「初國」の姿を追体験し、神靈の姿を外在化させたものである。¶¶¶2016年年末パンフでの、岡山天神山文化プラザ主任学芸員の福田淳子氏が書かれ、写真集にも書かれていることであるが、氏が注目されたことが2つある。一つは「日本人である自分の種族的原点に真摯に向かおうとするPhenomenaの姿勢」で、もう一つは「『フトマニクシロ・ランドスケープ』を構成する個々の写真の無名」である。¶¶僕のさらに知りたいことも「個々の写真の無名」のことだった。¶写真は共同制作、集団写真であり、個々の写真の撮影者の名前が記述されていない。また、写真集には560枚の写真が選ばれているが、6名全員で32,832カット撮影されているという。単純平均すれば一人あたり5,470カットの撮影である。(さらに単純に平均すれば、一箇所一人あたり195カットの撮影である。写真集には1箇所あたり20カットが収められているから一人当たり約200カットから約3カット選んでいることになる。)¶僕のような作品の鑑賞者が何も言うことはないが、写真の選択はPhenomena全員で行い能勢が写真も含め総監修を行ったとのことで、意志決定が共同作業ということである。¶¶¶共同制作ということについて『一匹狼の文化人on岡山』(2017年)のインタビュー記録の中で能勢さんは次のように話している。¶「(p34)岡山で刊行されています『OSERA』(ビザビリレーションズ刊)に山﨑治雄の連載を6年間書いていましたが、その連載中で共同で写真を撮ることの大きさを書きました。まず第一に複数の写真家の眼でとらえていくことで、浮かび上がる真実と、個人写真家が作る”私写真”的世界から抜け出て、大きなテーマに挑めるということがあります。このことは非常に大切なことです。そして次に、写真が後の時代まで保管・継承されやすいということです。例えば、私が撮った写真は、私がある日突然死んだら、息子の遊神にしても遺された作品の何が大事で、何が大事でないかわからなくなります。でも共同制作した写真作品はPhenomenaの6人で判断がつきます。つまり、後世の時代にその写真を伝えていける力にもなります。特に写真に記録された世界は撮影された、その時を記録します。写真に写った大半の世界は10年後になったら全然違ってきます。」¶¶『写真家 山﨑治雄の仕事』(2016年)で、藤井弘氏は次のように書いている。¶「(p132)石津(良介)が共同制作「高梁川流域」写真展(1967年)等で主張した現地展、そして「写真記録を県民共有の財産として活用すべき」という山﨑(治雄)の主張は、現代も意義深い。二人は郷土で写真を撮ることの意味と、記録としての写真を地域に役立てることを真剣に考えていた。」¶¶このプロジェクトは、能勢さんが継承したものが内蔵され、後の時代に送るための継承の方法なのだろう。世に創られるものは何でも、良くも悪くもそうだと言われれば、その観点ではそうである。¶¶¶『古事記』の解読を行って写真撮影に出かけたことについて、写真を撮る上で、そういう関係することを読んだりすることは無駄なことだという人がいるが、絶対に無駄ではないと能勢さんは強調した。近代以降の感性で写真を撮るというではなく、近代以前の感性で撮るために近代以前のことを調べなければならないということなのだろう。¶¶¶外に出ると増間の近藤さんがおり、CDを購入した。近藤さんとは、10月の「京都国際映画祭」での「テレパシー・アート -レクチャーと実験-」で再会した。¶¶このイベントに関係もなく、私事なのだが、ここに記しておきたいことがある。¶僕は1981年3月31日に岡山を離れ翌日の入社式のために関東へ向かった。そして、2018年の今年の3月30日に定年退職の最後の辞令を関東の地で受け、その足でこのイベントに参加するために岡山に来た。そして3月31日にまた岡山を離れ自宅に帰ることになった。その間何度も岡山に来て、色々なこともあったけれど、これで、就職して仕事をしていた37年間の大団円となるということを考えていた。だから何なんだということはないが、こんなに長く行っていたことはこれまでないし、僕の寿命を考えれば、これ以上長く続けられることはそんなにないだろうと思うのである。
妙好人の写真とはー共同作業を通して現れるもの 嘉ノ海幹彦(FM DJ)
PEPPERLANDにてPhenomena写真集『フトマニクシロ・ランドスケープ』出版記念の対談とライブが行われた。¶『倭姫命世記』は遊会でも読み解きを行ったが、アマテラス神が倭姫命を御杖代として、80年かけて伊勢神宮までの27箇所を巡幸した記録が記載されている。¶¶写真家集団Phenomenaは3年の歳月をかけて各クシロを巡り560枚もの写真を『フトマニクシロ・ランドスケープ』として現代に蘇らせた。¶池本喜巳さんは昨年池本喜巳小さな写真美術館で開催された「鳥取・岡山おもかげ考」でお会いした鳥取在住の写真家だ。¶ダイアン・アーバスに触発され、写真を始めたと話された。池本さんは古い散髪屋や商店などを街の記憶に張り付いた風景のような味のある写真を撮る写真家だ。¶かたや武田崇元さんはかつて雑誌『地球ロマン』『迷宮』の編集長であり、現在は八幡書店の店主であり精神世界に通低しているオカルティストだ。¶ちなみに両方の雑誌は短期間の発刊だったが、僕にとっては『遊』に次いで愛読した雑誌だった。寄稿者も精神世界の深く関わる人たちだった。¶各号での特集も「偽史倭人伝」「天空人嗜好」「我輩ハ天皇也」「秘教外伝」「神字学大全」「綺想科学鑑」とこんな感じでオカルト感満載の雑誌だった。¶¶その池本さんと武田さんの対比、すなわち写真家としての視点とオカルティストとしての視点が大変面白かった。¶池本さんはPhenomenaのメンバーに対して表現行為としての写真、すなわち表現者としての芸術作品=写真を撮るという行為にどのように向き合ったのかを問いかけた。¶写真とは写らないのが前提の映像芸術である。布斗麻邇寄代という対象である被写体に対してどう向き合ったのか。¶¶一方、武田さんは『フトマニクシロ・ランドスケープ』と比較して伊勢神宮の公式記録の写真集がいかにつまらないかを語った。¶つまらないのは霊的なものや神憑ったものが何も感じられないという一点である。¶それなりに有名な写真家が写しているだろうと思われる公式記録の写真集は、被写体が単に伊勢神宮であるというだけのものと言いたかったのだろう。¶¶ただ池本さんはこの公式記録の写真は日本の写真界の王道だという。しかし池本さんも違う意味で物足りなさを感じていたのではないか。¶だからPhenomenaに被写体の奥にあるもの、目に見えないものを写そうとすること、何か写ったもの以外のものを感じることなどを聞きたかったのだろう。¶Phenomenaの森さんは「神的なものが神界を通して身体に染み込み、シャッターを切る時に思いを込める」と答えていたが、最終的には写真集が物語るのである。¶¶そもそもこの写真集は個を排した共同表現である。現代の日本写真界においては誰も、どの集団も試みてはいない。出版される写真集には必ず個人の名前があり。¶個人の表現があり、評価されるものも個人である。先の伊勢神宮を写した写真集も同等であり、被写体が伊勢神宮というだけのことだ。¶¶ふと妙好人のことを思い出した。ある田舎のおばあさんが草履を綯えて曰く「私が綯えているのではない、阿弥陀さまが私の手を通して綯えているのや」と。¶そこには個人の名前も個人の表現も超えた何物でもないものがある。¶¶個人ではない集団による『フトマニクシロ・ランドスケープ』は個人がそれぞれで複数の場所で撮った膨大な枚数の写真の中から厳選してまとめることにより、個人ではない集団でしか表現できないものを作り上げた。¶そこに見えざる他力の力が働いていたのではないかと思う。つまり妙好人が写した写真集ということも言えるのではないか。¶能勢伊勢雄大全での「中国写真家集団」の回の中で、岡山大学の古代研究の教授が遺跡発掘で素人である村人を動員し集団で発掘したという話をされたが、同じ試みだろう。¶¶さて次のテーマにとりかかっているPhenomenaはどんな世界を見せてくれるのだろうか。今から楽しみである。
世界中でもPenomenaにしか出来ないこと。 犬養佳子(Rrose Selavy/Celine)
5年間、古事記を勉強しながら関連の場所を撮りためていた能勢伊勢雄さん率いる写真家集団Phenomenaのメンバーの写真集『フトマニクシロ・ランドスケープ』が出版された。記念の対談イベントでは森さんの勉強していく過程で感覚が変わっていった、そしてその変わって行った感覚で何を基準にシャッターを押すのか、観照対象が自分の心の中に入ってきた、その心に宿った像をファインダーを通して観ているものと重なった時シャッターを切ると言われたことと、柴田さんの自分の内面と外側の世界が出会った時その内面がシャッターを切る瞬間を選びとる。と言われたことが共通している感覚で、一つの神社を20枚の写真で構成し全部で28の神社を切り取った写真の前に立つと随所にひっそりとした気配と息遣いを感じることが出来るのは、やはり撮る人達がそこに焦点を当てるべく「内面を整えていく作業」を丁寧にやってきた5年間があるからなのだろう。そのことに際しては能勢伊勢雄さんも形態学の世界と同じで、何かを撮ろうと思ったら対象物が自分の心の中に入るまでじっと見る。¶そして次にファインダーを覗き自分の感じた内面の世界と重なる瞬間を探してシャッターを押す。このようにその人の内面が、一枚の印が紙に現れる。これは写真の凄みだけれど誰でもできることとも言われた。¶そしてフィルムの仕事とは闇の中で光を感じながらする作業で闇と光の間に自分がいる。と言われたこのことが一番くっきりと輪郭をもって心に残ったことです。そしてプレグナント(受胎する)の点とも言われた。自分の内面に受胎したものを切り取る、この事を大切にしたいと思った記念イベントでした。¶そして肝心の写真集ですが内容がかたそうにみえますが、何気なくパラパラとめくっても心にとまる写真があるようなとてもデザインも素敵なものなので本屋さんで探して是非手にとってみてください!
霊的有望株 ⻄谷勝彦(水島楽器主宰)
『フトマニクシロ・ランドスケープ』写真集についてのトークイベント。日本の深層オカルトに詳しく、かつ、 諸々の当事者でもある八幡書店社主・武田崇元氏による、この神社写真がいかに貴重な体験を写し出している か、いかに従来の「崇高な」神社写真が陳腐なものなのか、いかにこの写真集が今後の古本市場で有望株である か、等の力説を聞く。¶また、所謂、神道の儀礼において、神懸かりは特に重要であるにもかかわらず隠されて おり、無いものとされている。というお話は、演奏者としての要点をつかめた気がした。¶音楽の世界でも腑抜 けが有り難がられていることは日常的風景なので、写真1枚1枚と深く感応し、本当の由来を求めて人生を堪能 すべきである。( ́∀`)