京都国際映画祭2018
10.12 / ヨージ・コンドー監督『PARASOL』短編上映+特別企画レクチャー「映画とビデオアート」at 立誠図書館/トラベリングコーヒー
10.13 / 「テレパシー・アート -レクチャーと実験-」at元淳風小学校
電磁波の隙間にある恩寵 嘉ノ海幹彦(FM DJ)
京都国際映画祭2018の一環として10月12日に立誠図書館にて映像作品『PARASOL』に関連して「映画とビデオアート」という能勢伊勢雄のレクチャーと上映会が行われた。¶映画祭の開催が2014年からなので今年で5回目となる。毎回テーマが違うが今年は「映画とビデオアート」だ。¶映画はパーツを集めて映画言語を使い物語を編み出していく、ビデオアートはフィードバックを含めた双方向性があり開かれている。¶と簡易に記載したが、レクチャーでは「映画とビデオアート」に関してのそれぞれの歴史的背景や成り立ち、エイゼンシュテインやナムジュンパイクの例示などわかり易く理解し易かった。¶僕は特に今年3月の能勢伊勢雄大全で「日本の実験映画史」のレクチャーで語られた実験アニメーションとビデオアートの質的同一性を感じながら、『PARASOL』を見た。¶¶『PARASOL』は、映画とは違い電磁波レベルで現実を切り刻んでいる。¶人間の視覚は実物をそのまま受け取っているのではなく補正していることを思い出させた。¶作品には明確なストーリーはなく男と女の出会いということしかないのだが、その中に部分的なイメージの相似性をはめ込んだ映像になっていた。男の絵の具を混ぜる行為と女がケーキ用のクリームを塗る行為が象徴的だ。¶¶「日本の実験映画史」中で紹介された伊藤高志の実験アニメーションを思い出していた。¶すなわち、「ズレ」「残像」「ノイズ」である。¶稲垣足穂が昔の神戸を舞台に書いた「薄い街」で垣間見せる薄板界(うすいたかい)の風景。¶フランツ・カフカが若い友人とプラハの街を散歩中にふと見かけた黒い犬に見立てた恩寵。こんなことを『PARASOL』を見終わった後に感じた。¶ビデオアートは隙間芸術なのかも知れない。
『京都国際映画祭2018』:「テレパシー・アート -レクチャーと実験-」 伊吹圭弘(敦賀遊会主宰)
平成30年10月13日に、5回目となる京都国際映画祭で、「テレパシー・アート -レクチャーと実験-」が行われた。元淳風小学校の元音楽室で行われた、このテレパシーによる実験には約30人が観客として立ち会っていた。¶¶元音楽室の前方には、進行役のおかけんた氏、アーティストとしての能勢氏、ミュージシャンの近藤良氏と村岡充氏がいて、イベントは始まった。おかけんた氏は、京都国際映画祭で能勢氏と組んだイベントが4回目であり、その内容を簡単に説明していく。(僕は、最初のものは行けなかったがその後の2年分は参加した。)そして、能勢氏がコンセプチュアルアート、松澤宥氏のこと、今回のテレパシー・アートのことをレクチャーしていく。¶¶今回のテレパシー・アートは、当時、自らをヒロ星人と称していた作家の駿河ジョニー氏を依代として、能勢氏のテレパシーを受信した松澤宥氏がイメージをFAXで能勢氏に返信した2001年の内容を映像にしたもの①を、ミュージシャンの村岡充氏が見てギターによる即興演奏を録音②しながら遮断された別室にいる近藤良氏にテレパシーを送り、そのテレパシーを受けた近藤氏がサックスを即興演奏して録音したもの③を、再度映像と村岡氏の録音した演奏と近藤氏の録音した演奏の3者を会場で同時に再生して15分間の作品を完成させるという実験である。(能勢氏が発信したテレパシーを松澤氏が受信しジョニー氏が依代になり、それを能勢氏にFAX送信した2001年の実験と、最初に能勢氏から発信され松澤氏に伝わったテレパシーをFAXとして送信された松澤氏のイメージを映像としたもので伝える村岡氏から近藤氏へのテレパシーの伝わり方という二重の伝達によるアートである。)¶¶そもそもこの「テレパシー・アート」とは何なのか。2018年3月4日に岡山で行われたニシガワ図鑑2というイベントのWebページには次のようにある。「発端は、能勢が晩年の松澤氏から受けた電話がきっかけだった。観念そのものを芸術として表現するため“オブジェを消せ”に続く突破口を探求していた松澤に能勢が提案したのは、ものを介さず作家の思想と鑑賞者とを直に結ぶ“テレパシー”であった。そして実際に能勢と松澤氏によるテレパシー実験は、氏が亡くなるまで続けられたという。」元音楽室での能勢氏の説明が同じ内容で、説明とそのKeynote資料はさらに続く。¶アートは、作者の頭の中にあり、それを作品としてオブジェ(もの)にするものであるが、その仲立ちをする作品をなくしてしまえばより正確に、より速く相手(観客等)に伝わるのではないかと、松澤宥氏は考えていた。そのため、一旦作った作品を破壊したり、見せなくしたりすることでアートを成立させていた、ということであり、その次の段階で最終段階がテレパシー・アートであるということであった。¶そして、松澤氏が2006年に亡くなったとき、能勢氏が入れてもらった「Ψの部屋」について話が続いた。¶生前の松澤氏の作品は松澤氏の部屋(書斎?アトリエ?保管室?)に収められているが、その部屋は封印され立ち入りをできなくされたとのことである。オブジェを消したわけである。それを、松澤氏が亡くなった際に駆けつけた能勢さんたちは、ψの部屋の中を見せて欲しいと頼んで入室し、短い時間だったが2人で手分けして写真を撮ったとのことだった。所狭しと、床に、机上に並べられた作品や資料、部屋の壁に張られたり梁から吊るされた作品の様子が元音楽室に投影された。¶ちなみに、「Ψ=プサイ」には、「1 ギリシャ文字の第23字。2 精神医学で超能力を表す記号。3 〈ψ〉量子力学でφとともに波動関数を表す記号。」と言う意味があるようである。¶¶さて、今回のテレパシー・アートによる実験結果である。¶テレパシーが伝わって演奏がなされたのかどうかなどは、テレパシーを受ける者がどう受けたかによるものだろう。聴いたり観たりした者にしても同様にどう受けたかによるものである。そして今回の実験は成功したのか否かといえば、成功したと思う。何故ならば、村岡充氏と近藤良氏もテレパシーを感じていたと言うのだからそうに違いないのである。そしてその実験に僕たちが立会い、その演奏を僕はとてもいい気持ちで聴いた。¶¶村岡充さんと近藤良さんの演奏は、僕は初めて聞くのではなく、3月30日にPEPPERLANDであった『フトマニクシロ・ランドスケープ』写真集出版記念イベントでの増間(フエルマ)の演奏が初めてであった。
本当にオブジェは消されたのか 嘉ノ海幹彦(FM DJ)
10月13日松澤宥(1922-2016)と能勢伊勢雄の共同作品である「テレパシー・アート」が元淳風小学校にて実行された。¶しかし「テレパシー・アート」とはとんでもないことを行ったものだ。¶その経緯と成り立ちは事前のレクチャーでよく理解できた。松澤さんは「オブジェを消せ」という言葉で芸術概念を根底から覆そうとした。¶すなわち作品と鑑賞者との関係でいえばそこに具体的な作品が介在することによりなんらかの阻害要因として作用するのではないか、ということである。¶友人が行っていた美學校の「最終美術思考」という命名も一面腑に落ちた。¶そのことを考えると芸術作品とは何か。自律した芸術作品を考えるに当たり「テレパシー・アート」は本当に大変面白い問題提起である。¶神がかりのように直接的にコレスポンダンス(交換)を行うということなのか。¶当日現場でどのようなことになったのかはここでは記載しない。¶村岡充と近藤良の演奏もテレパシーなので成功したしなかったとかすばらしかったとかつまらなかったとかを記載するのは意味がない。¶ただ今回の音楽演奏と電波を媒体とした試みはテレパシー・アートには欠かせないものだと思う。¶¶そもそもテレパシーとは他者または何者でもないものへの伝達技術である。¶古代ギリシャでは、技術(テクネー)は使う人の能力が重視された。¶引き継いだヨーロッパ中世では、技術(アルス)はその知識が重要視された。¶ルネッサンス以降は、技術は能力の事でも知識の事でも言っているわけではない、芸術作品(アート)は作品そのものが自律したものであり存在としてあるものとして捉えられるのである。¶では自律した芸術作品とは何か?絵画、彫刻、建築、音楽。。。でも音楽は形がないので作品として存在しているのか?¶音楽は芸術作品か。作品として自律したものとして存在するのか。音は常に聞こえているが、すぐに減衰する。¶『MUSICK SPECTACLE』で放送したポーリン・オリベロスの貯水槽での鉄筋残響音は音楽作品である、といえるのか。¶もちろん音楽作品として作っているので音楽作品である。¶でも音源媒体のCDは音楽作品か?CDそのものは音楽ではなくコンパクトディスクである。¶オブジェを消すとは天に向かって減衰しつづける音の響きのような気がした。
「してやられる非力なobject達」 中野裕介/パラモデル(美術作家・京都精華大学芸術学部特任准教授)
白昼の京都、元小学校の音楽室の暗がりで『テレパシー・アート -レクチャーと実験-』を観た。故・松澤宥氏に関する能勢氏のレクチャーの後、両氏のテレパシー交信により制作された映像に、演奏家の村岡・近藤両氏が更にテレパシーで音像を付け、作品を完成させる公開実験。「オブジェクトを消せ」との啓示の元、融通無碍で劇物的な言葉の力能を駆使し、極度に観念的・反物質的な制作を続けた氏の晩年の姿を拝見すると、誠に猛烈な超人的存在感があり、もしやあらゆるobjectの消去は、氏自身の肉体や立振舞い、subjectの最大限の増強によって、パラドキシカルな釣合を保っていたのでは?という妄念も過ぎる。魔術めく葬儀風景(赤土類氏の逆立ち姿!)やかの「ψの部屋」の朽ちゆく光景にも驚愕。松澤・能勢両如来による言葉と図表の明滅運動×村岡・近藤両観音による遠隔からの即興演奏はサイキックに触発し合い生成変化、明快な図解の迷界に連れ込まれ、冥界の図解の冥海に浸るうち、明解な解答も虚無へと解凍、太古の床しい未来から神秘学や仏教、数多の幽霊・惑星軍まで様々合流し、触知されざるミクロの真砂がザラザラざわめく平らな図面の、可塑的動勢に次々描き込まれてゆく。「飛行機のように結果である」「ミクロ マクロ図工」「完成し完成する」…展開された霧箱で、挑発的に響く音声に常に攻め込まれ、してやられる非力なobject達、虚キョkyoと笑う電子ニュートリノの群れ。生滅’n’不生滅のあらアラya、因子がめいめいぶっつかり奇妙に動揺する稜線の亀裂、際と極の縫い目の縫い合わせの、ほつれた破れ目の破れたほつれには、視えない声が見え・聞こえない姿が聴こえるようだ。量子的書物のノドの先の先のその先っちょ、56億7890云万次元の延長のその尖端に煌めき潜む、盲いた至言とだんまりの絶景。その匂わない寂滅の臭いが、隙間からそよ風に乗ってぷーんと強く匂った、そしてそれはなんとも麗らかで気高い香りだった、気がした。薫りよウツレ。怠惰な僕にはただ座して憧れるしか無い、霊視霊聴の感触とはひょとしたらこんなんか?ずれにずれゆく均衡調和の一瞬の永遠、やっとシッポを掴んで匂えた気がして、にんまりする。という夢をみた夢をみているような夢のように、痛快愉快に過ごした果ての果ての時空の隅の、そのお隣りの非場所に遊ぶ、無底に心地よい出来事でした。
テレパシーを予感させる音楽体験 木村匡孝(Phenomena)
テレパシーを予感させるものとして考えられるのは宇宙しかないように感じるようになりました。¶松澤宥+能勢伊勢雄テレパシー・アート作品を眺めていると、テレパシーの可能性とは無限なのではないかと思います。無限ということは地上より宇宙なのではないでしょうか。音楽は意識により直接的に呼びかけてくるものとしてあり、モジュラーシンセのように頭の中に直接響いてくるものもテレパシーの前兆として働きかけます。もはや響きすらも感じれないハーシュノイズ・ウォールのような音楽も体験するとテレパシー の必要性を感じてしまう。薬物のスパイスで人間がゾンビのようになっている姿はまるでその辺り転がっている石のように人間は動かずじっとしている事や植物が天体の力を受け地上にあらわれた宇宙図であると写された写真集『ISEO NOSE : MORPHOLOGY 能勢伊勢雄:形態学』の写真を見ていてもテレパシーに通じるような感覚を覚えてしまいます。¶テレパシーは自己そのものであるといえます。今回のテレパシー・アートでは未来の可能性を信じる事が出来ました。
“消滅”の先にあるもの 森美樹(ガラス作家・Phenomena)
松澤宥の作品とはじめて出会ったのは広島市現代美術館だった。原稿用紙1枚の限られたマスにきちんと納められた言葉が並び、数と言葉、メッセージが強く印象に残ったのを覚えている。松澤宥は、1964年、「オブジェを消せ」という啓示を受け、コンセプチュアル・アート(概念芸術)の作品を確立する。その先へ向かうために、2001年、テレパシー・アートを試みた。¶京都国際映画祭『テレパシー・アート -レクチャーと実験-』では、松澤宥とのテレパシー交信によって制作した能勢氏の映像「Telepathy Art」に、ミュージシャンの村岡充氏と近藤良氏が別々の空間からテレパシーで共演し、その後、二人の各々録った音を重ね、そのサウンドを付けた映像作品「Telepathy Art」をリアルタイムに完成させるという試みだった。松澤宥「テレパシー・アート」×能勢伊勢雄「Telepathy Art」/村岡充(gu)×近藤良(sax)がテレパシーのみで繋がれるというこの実験的な作品は、鑑賞者はもちろん、関わる側も想像できない未知の次元へ連れて行かれる。水素×酸素が出会って水が生まれるように、間に何も介さない、感覚へダイレクトに反応を起こさせるのが「テレパシー・アート」だ。目の前に見えている世界やモノ(オブジェ)を介することなく、内面(感覚)へ直にやってくる。そして「頭の中にできたもの、それが作品」だという。それは、記憶のようなものや出会った瞬間という、感覚に最も近い純度の高いリアリティでもある。実験では、ミュージシャン二人の内、一方の音を目の前にしながら、一体どういったものができあがるのかと考えていた。そして、別々に録ってきた音を重ね、映像作品と合わせたとき、先程考えていたのは無駄だったと感じた。それは、生きものたちのやりとり(会話)のような、音という言語を使い、次元を超えて通信をしているような、二人、あるいは四人のテレパシーを目の当たりにする。同じ空間と時間をともしている観客もそのやりとりを見ながら、同時に、そのテレパシーの受信体にもなってしまうという不思議な体験だった。¶1970年に行われた松澤宥「ニルヴァーナ」展は、3日間の展覧会で、初日は2階の全室を使い、2日目はその半分のスペースになり、最終日3日は一部屋になり、そして消滅した。参加者の85名のうちどれだけの人が何をどう受けっとったのかはわからないが、その瞬間に立ち会え、そこで受けっとった"何か"は本当のことだと思う。¶今回の会場、元淳風小学校は統合のために閉校された明治2年創立の学校で、木板の廊下が歴史を感じる校舎の中、音楽家の肖像画が並ぶ音楽室だった。さまざまな要素が、時間の経過も含めて取り払われ、消滅し、その先に残る純度の高い昇華された"何か”が反応体験として各々に残る。
イベントを終えて、レムリア紀の面影とテレパシー 能勢伊勢雄(PEPPERLAND主宰)
『Telepathy Art』に関して本年は2回のイベントを行いました。そして、イベント終了後に感想をいただいた人々からは、一様に、改めて「音楽はテレパシーで成立している」ものだと認識したと言い、水島楽器主宰の西谷勝彦氏が言った「いやぁ、凄いものを見せられた。これで音楽その他の、謎じゃった部分が、たぶん、ひとつ解き明かされるきっかけになると思う。」という言葉がこのイベントの感想を代弁しているように受け取れました。出来上がったサウンドを語れば、ポスト・エレクトロニカにグリッジが加わり、ホーン・サウンドと共に、クリック&カッツで展開しながら、全体としてはギターサウンドが繋ぎ留めていた「アン・コンシャスネス・エレクトロミュージック」とでも言えば良いのでしょうか?? このような表現しか出来ないが、語れる音楽用語があまりにも少な過ぎます。もしかすると、適切な言葉が無いことは、音楽がまだこの布置領域のレベルに到達していないことの顕れかも知れません…。日本は汎太平洋圏に属し、文化圏で言えば、レムリア紀の面影を残しています。言語すらも持ち得なかったレムリア紀ではテレパシーによって非言語コミュニケーションが形成されていたと言われています。私達、日本人は僅かに遺ったこの能力で、意思を暗黙の内に伝達していることは、少し注意深く日常を見れば、この面影に気付くことは可能です。このように『Telepathy Art』のイベントを捉えるならば、日本的霊性に基づいた催しだったと言えましょう。日本人の意識の背景を形成している実験であり、果敢にこのような実験に挑んでくれた村岡充、近藤良の両氏に深謝するとともに、彼らの挑戦が無ければ実現出来なかったイベントでした。そして、会場で場を共有したオーディエンスの皆さんと共に、レムリア紀の面影体験となっていれば幸いです。¶テレパシーについてはフロイトが言った「精神感応原理」に記述があります。フロイトが精神分析学の基本原理である「転移」と「逆転移」を通じて、「患者内面」の修正(治療)行為が行えることを発見したことにより、精神分析学が確立しました。このことを振り返ると、もともと、「精神」と呼ばれるモノは実体科学の対象になるものではなく、いわば古い、レムリア紀の概念であり、これらの概念をフロイトはブラバッキーの神智学協会が刊行していた『スフィンクスの友』(『スフィンクス』か??)から受け取ったといわれています。実体が無く、しかもケース(患者)という眼前にいても、言葉による関係性を構築できない他者=遠隔者に対する治療行為の根幹に、フロイトがテレパシーと呼んだ「精神感応」があったものと思われます。極言すれば精神分析学はすべからくテレパシー行為だと言えます。(これは極端過ぎますか?)
(写真:京都国際映画祭WEB SITEより)