2018 PEPPERLAND TOPICS

主にペパーランドの年末ライブパンフレットに掲載した記事を転載しております。

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連続講座 「能勢伊勢雄大全」

at 丸の内テラス

アートファームの代表・大森誠一氏の主催で昨年8月から始まった「能勢伊勢雄大全」。能勢伊勢雄の知の全貌を余す所なく探訪するべく、能勢伊勢雄を講師に迎え、月1回の講義を行なっている。3月で第一期を終え、5月からは第二期に突入した。【アートと近代の再検証】を大きなテーマに、現代アートと日本の近代を能勢伊勢雄自身のクリエーションと言語によって読み解いていく。参加者は貴重な資料や映像、解説とともに展開される講義に熱心に聞き入っていた。
 
主催:アートとファームの學校事務局
問合せ先
TEL. 086-233-5175
FAX. 086-294-3764
E-mail info@artfarm.or.jp
 

能勢伊勢雄大全の受講体験記 田中恵一(Rrose Selavy/Celine)

20代、30代の頃 能勢伊勢雄さんは 僕らの周りでは 超キレ者として<畏れ>られており、Pepperlandへは実験映画の上映会に何度か行っただけで ご縁は殆どありませんでした。¶2003年頃 僕は自分周りの音楽、思索状況の中で 閉塞、停滞してました。そんな中 パートナーのワンコロこと 犬養佳子が、畏れているだけではなくて 能勢伊勢雄さんのところへ行って胸を借りてぶつかってみたら???とアドバイスをくれました。¶このことが ご縁のキッカケでした。¶それからは ギー・ドゥボール風に言えば 遅れてきたPepperland <漂流者>として 様々なイベントに積極的に参加してきました。その中でも 能勢伊勢雄さん、諌山さん、二宮さんによる音楽講座。一回 5時間程を 10数回体験しました。凄く感覚がタフになったこと覚えています。¶そして今回 大森誠一さんの企画による能勢伊勢雄大全。¶最初の頃は 一回5,6時間、途中からは 3,4時間のLecture これまでの13回の内 僕は11回体験しました。¶第1回目 シチュアシオニストとして生きたこと。ギー・ドゥボール<スペクタクルの社会>。「フィルムはない。映画は死んだ」と言ってのけるドゥボールにかかっては あのゴダールさえ小市民的に見えてしまう。芸術に限らず、思想も政治も経済も「専門家」に任せきりで 鷹揚にお手並み拝見と構えているうちに いやおうなく「観客」であるしかないどころか大仕掛けな茶番劇のエキストラに動員されてしまいかねない。こんな世界のありようと疎外感の大元を 本書は徹底的に腑分けしてくれる。(裏表紙より転用)。能勢さんは スペクタクルを脱臼させること。文脈を脱臼させること。そして ギー・ドゥボールの思想を伝えることを否定することと述べられる。¶この感覚は 凄く特殊なものではなく 60年代 このような感覚は 様々な形で散見されたとのお話も伺いました。¶T.A.Z. 一時的自律Zone。1人の行動を大切にすること。一時的に自律して数時間後に霧散し、管理社会の枠組みを脱臼させ、跡形もなく消え去ること‼‼¶僕は Rrose Selavy/Celine というFuck ‼‼にご大層な名前のユニットをやってますが、一時期から 義務的に恒久的なメンバーと関わることを拒みました。ソロを中心にしながら一時的に自律し 解体する。まとまった形あるものとしての音源を残すことにも あまり興味はありません。様々な意見は おありでしょうが、僕は テクニックを磨くことだけで 音楽なり他の表現を成立させようとするタイプではありません。Bolis のメンバーが 「上手くならないために練習する」との Paradoxical な 言い方をされてますが、わかる気がします。思索でもって 肉付けすること あるいは 削ぎ落とすこと。能勢伊勢雄さんに出会ってそのことを実践してきました。「21世紀にもなって 自分自身のオリジナルなんてないのです。編集作業こそが 大切なのです」との言葉を いつも 念頭に置きながら。。。¶第9回 「備前アートイベント」が 挑んだ先駆性。林三従さんが ディレクター、能勢伊勢雄さんが アシスタントディレクターを務められた備前アートイベント。¶僕は 毎年 参加しました。参加したつもりでした、、、能勢さんの講座を拝聴して 僕は 何も、本当に何も本筋を見抜いていなかったことを学びました。本当に何も、、、¶2004年「スペクタクル能勢伊勢雄1968-2004」も同様。¶能勢さんの講座で あの当時の本質的な意味合いが立ち上ってきます。¶「備前アートイベント」「スペクタクル能勢伊勢雄 1968-2004」を 追跡することは 僕の中での 土地の記憶をもう一度呼び戻し 読み直すことです。そのことは マルグリッド デュラスが いつも何処かで テーマにしていることかも、、、¶そして 第11回 「デジタル ムネモシュネ」構想。¶合同に相対するものとしての相似律。似ているものには 本質が宿っている。¶そして チャンス イメージ。例えば 子供の頃 寝る前に天井を眺めていると 何かが形を イメージを持って立ち現れてくる。そして 遊図。これらのことを使って 能勢さんは アビ・ヴァールブルグが 提唱した ムネモシュネを発展させて デジタル ムネモシュネを提案されます。¶岡山市デジタル・ミュージアムにおいて デジタル情報による ムネモシュネ的な、あくまで ムネモシュネ<的>。ヴァールブルグのした事をそのまま 追跡することではなく、新しく 編集し直した情報を提案されました。ホンマに無茶苦茶面白かったです。でも、岡山市の政策決定権を持つ議員エゴにより「岡山市デジタル・ミュージアム」は看板を降ろし、「岡山シティ・ミュージアム」となり先見性を自ら閉ざしてしまった。さぞかし悔しいお気持ちでいらっしゃったのでは???¶書きたいことは まだまだありますが、2018年 2/10 のFacebookにアップした文章を援用して 終わりとします。¶以下。。。昨日の大森誠一さん企画 能勢伊勢雄大全 第6回。海外実験映画特集 No.2。半端じゃなく面白い。¶メカスが 彼の映画日記で絶賛するJack Smith『Flaming Creature』。やっと観れました。Flamingoとは ゲイの隠語とか⁈あまりに過剰な映像に驚愕‼‼¶そして Ken Jacobs『A Tom Tom Chaser』。不可逆で単線的な時間???に対して まるで それに挑みかかるかのような 重層性。可逆性。可塑性。見つめていると まるで 自分が 若かった頃に帰れるような幻想が。。。¶そして バロウズの映画 2本。¶Cut Up、Fold  In に対して 一歩も二歩も踏み込んだ解説。あんな説明 初めて聞きました。そして 1985年当時 すごく話題になった『Max Headroom』。¶コリャ スンゲーわ‼‼‼¶環境の背景は モロ Derek Jarman『The Last of England』。¶「メディア レイプ」そして「メディアは マッサージ」。計8本。4時間半。改めて 能勢伊勢雄さんのカルチャー・シーンにおけるジャック・ザ・リパー感覚を痛感した次第です。
 

「アートと近代の再検証」は続く        沖島聖子(Phenomena)

昨年に引き続き月に1回ずつ、丸の内テラスにて。内容は多岐にわたり、これまで伊勢雄さんの関わってこられた作品、人、展覧会などについてプロジェクターでスライドを写しながらの解説。¶1~3月、国内外の実験映画を実際に見ていく。知覚の拡張に向かっての映像体験。1960~70年代に作られた映像を中心に海外編・日本編。現在手に入らない貴重な映像もある。映像から自分の中に呼び起こされるもの(テレパシー的なもの)・自分自身を突き動かしていくものに意識を向かわせる。¶5月から第2期スタート。PEPPERLANDの誕生。松岡正剛氏と工作舎との関わり。遊学。「コト」と「モノ」を対角線で繋いだ所に生まれる関係を語ること。異質と異風を取り込み、一個の人間を越えていく。Rock Magazineと阿木譲。スノッブ(俗物)文化の可能性に気づいていく。日本のスノビズム・「抜け殻」の中に封じ込める文化に残された、可能性。¶6月、林三従氏。初期1962年作品より、既にヨーロッパ前衛の形態を持っていた。フルクサス、アクショニズムの流れ。ガラスケースの中に本人が入っている展示など。備前アートイベント(1987~1997)第1回、建設足場にテントを張り「備前の地に吹く風の音を聞く」展示から始まった。備前片上の海・地形・街の中でなにができるのか。生活と無関係な観光芸術祭の問題点。¶8月、ゲストスピーカー・那須孝幸氏によるレクチャー。当時倉敷市立美術館の学芸員として開催した2004年「スペクタクル能勢伊勢雄」展について。学校、ギャラリー、映画館、劇場、ラジオで並行展示・公演。ノセイセオをメディアとし展示物と観客を繋ぐ。辞書型の図録は各項目にリンクを貼るため膨大な入力・編集作業をこなす。仕事を超えて自身の生き方、やりたいこととしての関わり。¶9月、デジタル・ムネモシュネ構想。岡山市デジタル・ミュージアムが目指したが実現せず現在の岡山シティ・ミュージアムとなる。今後の美術館展示に向けて、アビ・ヴァールブルクの用いた展示方法〝ムネモシュネ〟の活用。デジタル技術で可能になる膨大な図像の収集・組み替えにより新たな意味を読み解く。¶10~11月山﨑治雄氏。「光ト影の会」「中国写真家集団」での活動。戦争を体験し、戦後岡山の「写真記録」を撮った。岡山芸能懇話会。文化の力によって岡山の戦後復興に寄与。石津良介「高梁川流域写真展」より始まる岡山写真界特有の「共同制作」の歴史。写真家集団Phenomena の複数の眼。立体的。一般市民参加の古墳発掘を日本で初めて行った近藤芳郎の例。写真は、かつてあったもの・これから消えるものの記録である。山﨑治雄作品・旭川ダム、い草労働、吉備路・文化財、犬島等々。旭川ダム記録時の貴重なニュース映像(山﨑氏出演)あり。開発=破壊の別名ではないかの問いかけ。¶大全はアーカイブでもあり、アートと近代を捉える視座を示し、写真家集団Phenomena にとっては岡山の共同制作の歴史を知る機会にもなった。自分たちが今どこにいて、これからどこに行くのか、写真記録が過去を教えてくれ、考えるきっかけになることは納得できる。過去に起きた問題が変わらず今も引き続いていることも知ることができる。知識のすべてを消化できるわけではなくても、感性を成長させてくれることは希望になる。自分自身に照らし合わせて今後の糧にしていきたい。
 

人間の深いところにつながる智慧   犬養佳子(Rrose Selavy/Celine)

2017年8月からスタートした能勢伊勢雄さんの今までの活動を、1期2期にわけて全方向から取り組む講座。¶大全=十分に備わり欠けるところがないこと。と名付けたとうり星々がきらめく宇宙のような能勢伊勢雄さんの知性に切り込んで下さったのが長年、文化事業で岡山を耕してこられた特定非営活動アートファームの大森誠一さんです。なんとお二人は大森さんが高校生の頃からのお知り合いのよう。¶だいたい毎月最終の土曜日にあり、すでに13 回目の講座も終わり来年の3月の最終講座まで残りあと4回というところまで来ている。¶昨年の年末ライブのパンフレットには第3回目までの印象を載せていただいたので今回はそれ以降の感想を。¶写真家でもある能勢伊勢雄さんが山崎治雄を師とし写真をやっていたから、実験映像に興味をもち、実験映画のかかわりがなかったらアンディ.ウォーホールの映画にも出会わなかった。Ronald  Namethの「Warhol’s Exploding Plastic Inemitable」1967年に現されたアンディ.ウォーホールの作った場所「ファクトリー」。岡山にこういう場所を作りたい‼というのがペパーランドを立ち上げる原動力になったと言われた。その実験映画については海外を中心に国内も含め4回にわたって紹介された。¶エイゼンシュテインの「映画の弁証法」より映画が言語であるという流れを汲んで実験映画という分野に。スタンブラッケージの動く視覚的手法(エクスパンデッド・シネマ)とは人間の知覚を拡張したり知覚に何かを訴えようとする試み。¶エコロジーの分野で、一番少ない資源で最大の効果を発揮する研究をしているバックミンスター・フラーの1970年に出版された「エクスパンデッド・シネマ」の本に寄せて書いた言葉"人間の歴史はテレパシーを通じて生き長らえてきた。エクスパンデッド・シネマは進化を超えた人間の脳が感知する超自然的なメディア・パラクレート(気づき)に到達するための映画である"はその意味を言い表していると思う。普段目にすることのない貴重な映像を本当にたくさん観せていただいたが、どれも理解しようとか娯楽で観るのではなくただ何となく観ていて、感覚に訴えてくるものを意識、無意識に浴びせるという向き合い方。リラックスして無防備な状態で観るというのが良いと思う。¶中でも印象に残ったのは1928年作の「アッシャー家の人々」。もちろん白黒映像だけれど写真的な美しさで物語が進んでゆく、映像の表現によって物語の気配を描いている作品で一番深いところに起きている問題を気配として予知させるというとても惹きつけられて心がざわざわした映像でした。¶2〜3回欠席したけれど出席した講座では毎回、能勢伊勢雄さんならではの物事の捉え方、それに対する思い、知性によって繋がっていく流れが簡潔な言葉であきらかにされていくのを体験することは、知らない世界を知れる喜びとそうだったんだという感動、意識にも無意識にも刺激を受けていると思う。¶ただ知識を取り入れるというのではなく、人間の深いところにつながっていく智慧みたいなものが底にあるからなのだと思っている。¶¶各回の感想はもちろんあるけれど最後に2回に渡って取り組んだ倉敷市と岡山市の連携事業として倉敷市立美術館であった「スペクタクル能勢伊勢雄1968ー2004」展。この時のキュレーターの那須孝行さんを迎えての当時の多くの人を巻き込んだ熱のこもった展覧会への想いなど「どんなジャンルにもとらわれず、どんなジャンルにも関わる」能勢伊勢雄を特定せずメディアとして捉えそれでいて何が出来るかというところで奔走された様子を、それこそスペクタクルに巻き込まれるように聴いて、当時観に行ったことを思い出しながら、今の感覚でもう一度あのスペクタクル展を体験してみたかった‼と思いました。¶那須さんの「学芸員というよりも自分人生の中で大きな経験をした」という言葉がすがすがしく、またそのように求心力をもって人を魅きつけ続ける能勢伊勢雄さんの講座、あと4回ですが是非体験してみることをおすすめします。
 

能勢伊勢雄を通して伝えられるもの 嘉ノ海幹彦(FM DJ)

大全の第Ⅱ期は、5月26日から始まった。山﨑治雄の写真との出会いからいよいよPEPPERLANDの成り立ちから現在に至る全貌が明らかになる。¶1974年にこんな場所を作りたいと決心させたAndy Warholの映画『Exploding Plastic Inevitable』(1967)の紹介があった。¶考えたら能勢さんはすっと「場」を作り続けている。量子力学における【場】の 理論(りろん)とは、物理学で粒子どうしが電磁力・核力・重力などの場を通じて作用するという考え。¶またその理論に立脚して展開される電磁場の理論および核力の場の理論。と説明されるが、PEPPERLANDそのものだ。¶具体的にPEPPERLANDは時代と共に変化しパラマーケットスペクタクル実践の場として、またT.A.Z.(一時的自律的ゾーン)として存在する。¶¶一連の講義を通じてシチュアシオニストとしての能勢伊勢雄が様々な人との関係において様々な事柄が語られていることに気がついた。¶改めて山﨑治雄の、松岡正剛の、松澤宥の、PEPPERLANDの、実験映画の、、、それらの業績が「大全」で整理され僕らに伝えられる。¶高橋巌さんが「一番大切にしているものは何か」と問われ「人との出会いです」と即答していたのを思い出したが、¶「大全」では講義という形式をとっているが、語られる内容と僕らが出会う機会が与えられているということだ。¶さて能勢さんが語る貴重な機会も残りわずかとなった。それぞれの内容と出会うために聞きに行こう。
 

やった人から学ぼう               ⻄谷勝彦(水島楽器主宰)

時は流れて、1960年代70年代80年代。わたくし達が20代になるまでの間、魅力的に感じた様々な人の活動や作品があり、それらに触れたり近づいたりしたいと願って来ました。そして90年代、まさにソコに居続けた方に直接出会えるようになり、可能な限りそばに居ようと思いました。それがこんなに容易く出来る環境にある自分の特殊性を喜ぶために。¶今この時期「能勢伊勢雄大全」が開催されていることは、今まで断片的に触れてきたお話を再度、体験談として体系化して頂いている作業だと感じています。¶やりたいコトのある人は、仮にソレがボンヤリとしたことであっても、どうソレをやるのか?を知るには、ソレをやったことのある人の話を聞くのが一番だと思います。¶音楽やアートや写真や映画や、ソコに足を踏み入れたいと感じた人の感覚は、既に何 か訴えようとする違和感を持ってしまった証です。やった人の話を聞きましょう。1960年代70年代80年代。今や様々な衝動のカラクリが見えて来て改めて思うのは、昏い時代だった、目くらましの時代だった、ということです。が、それでもそれらが面白いことだらけだったという興味深さは変わりません。¶良きにつけ悪しきにつ け、ボンヤリだったことがクッキリして来ました。。