ニシガワ図鑑Ⅱ「Telepathy Art図鑑」
2018.3.4 at 西川アイプラザ
世界的コンセプチュアル・アーティストの松澤宥とのテレパシー交信によって能勢伊勢雄が制作した映像に、ミュージシャンの村岡充と近藤良がテレパシーで共演し、リアルタイムでサウンドを付け映像作品を完成させる実験的な試みが行われた。10月に京都国際映画祭内のレクチャーで行われるイベントの岡山での初演であった。
テレパシーが呼び起こした音と映像 岡茂毅(Phenomena)
最後に2人の演奏と映像を体験した時、その前の村岡充さんの演奏のみで体験した印象と確かに少し違うのだけど、ほとんど違和感がないことに驚きました。そして、別室でテレパシーを頼りに演奏していた近藤良さんの演奏が、充さんの音とも、映像とも不思議と溶け込んでいることにも驚かされました。対面で即興をした時には出てこない音楽のように思えます。対面で演奏するとどうしても相手の音や様子を見ながら考えすぎて、自分の引き出しの中で演奏をしてしまいがちなのかもしれません。相手を考えず、ただテレパシーを受信するという普段使わない感覚に集中したからこそ出てきた音なのかもしれないと思いました。対面で演奏した時以上の調和を音楽から感じました。時間も場所もないノイズの中に次々と映し出される松澤宥氏の図は人の頭の中を直接覗いているような不思議な感じがしました。覗いているというよりは触れているという方が感覚的には近い気がします。ギャラリー・ノマルで伊勢雄さんの作品を見た時にも思いましたが、この図はどこから来たのだろうというのをずっと考えてます。イベントを体験してみて、それはどこかは分かりませんが普段使うことのない感覚から出てきたもののように思えてます。テレパシーは実は普段から存在していて、僕らは日常的には五感やそれに伴う思考に忙殺されて受信し損ね、発信することも忘れているのかもしれないと思いました。伊勢雄さん、村岡充さん、近藤良さん本当にお疲れ様でした。貴重な体験だったと思います。ありがとうございました。
会場に共有されたもの 沖島聖子(Phenomena)
「オブジェ」を無くした松澤宥さんの概念の世界の余韻の中、何も介することなく、各々の頭の中を直接交流するコンセプチュアルアートの極致としてのテレパシーが、どのように共有されるのかという実験要素もあり、客席にいる参加者のほうも緊張感と、何が起きるのかとても期待を持って聞きました。それぞれ頭の中に、映像と村岡さんの演奏によって喚起されたイメージが飛び交い、目に見えないながら壇上と別室の近藤さんにテレパシーを投げかけていた、と思います。最後に出来上がった作品をみて、大勢の人がいて、同じ体験の中でお互いに抱くイメージがそれぞれ誤差を持っていても、共有の、または公約数のものをつかみ出し、それが現れて出る、ということがあるかもしれないと感じました。という位、一つのものとして、映像と演奏の呼吸が合っていて自分のイメージが補強されるように思いました。現場で、会場に漂った目に見えない空気を体験することができ、嬉しく思います。
テレパシーで開き直る 木村匡孝(Phenomena)
思い起こすと、テレパシーと言わざるえない体験を僕は何度もしていました。しかし生きていてそんな体験をした事がない人はいないと思います。今回の伊勢雄さん、村岡さん、近藤さんの掘り出されたテレパシー感覚は実験音楽史にて語られたメディアパラクレート、「気づき」であったと感じます。古代の音を呼び起こすドローン的ノイズ映像では松澤さんの「オブジェを消せ‼」というプレグナントな一点から入道雲のようなテレパシー発信装置を地上に降下させた事はパンク以外何ものでもなく、シチュアシオニストとして生きてこられた伊勢雄さんとの間にあるテレパシーがみえるような作品でした。入道雲を生成させた、そんな作品をより体験として意識にダイレクトに伝える事が音楽であったと思います。冒頭で「信じる事から始めましょう」という言葉に、Phenomenaの写真集のテキストにある「見る」という言葉が同じように響きました。村岡さん、近藤さんがその言葉を信じるからこそできた音であったと思います。会場の人がテレパシーを信じ、自分自信になる事が出来るアートが、時代の方向性を指し示すものでもあった事。ドウニ・ウィルスーヴ監督の映画『メッセージ』で「人間は未来を予測できる」と語られます。「新しい音楽には必ず次の時代が現れている」と言われてる伊勢雄さんは未来を見ており、音楽を通して顕れている時代のテレパシーを受け取っている事となります。武田崇元さんの言われた現代の神道から排除された「憑く」、霊的なものをテレパシーとして体験できた事を本当にありがたく思います。
次元の旅体験 森美樹(ガラス作家・Phenomena)
村岡さんの音を聞いているだけでは、全く想像もできない、お二人が合わさった最初の一音目の衝撃で鷲掴みにされて、どこか遠くにきたような、時間も空間も解き放たれたところへ連れていかされました。生きものの間で交わされる啼き声のようにも聴こえ、この瞬間に立ち会えた高揚感は、ずっと忘れることはないように思います。
考え続けるアートの姿勢 ⻄谷勝彦(水島楽器主宰)
アーティスト松澤宥さんとのコレスポンダンス。(意味を知らずにカタカナ書いたけど、なんと!通信という意味じゃったw。)前衛アートがたどり着いた超精神圏を知り、さらに底を行く。前衛アートと言えば「しょうも ないこと」の代名詞であり、または、人類知性の最高峰のひとつだ。ボクも、もしゲージツ家と呼ばれることが あるなら前衛と冠を付けて欲しいと願う。そこにあるコンセプト。これを感じよ。これを伝えよ。と言うが、な らば「伝える」すらも飛び越えてテレパシー。と、能勢さんは松澤さんに提案されたそうだ。¶偶然の一致、シンクロニシティならお互いが、あの波とか記憶とかに合わせる、感応するという即興で叶うだろうが、ここでは念が存在しており、それは量子世界での会話のような行為を行なっていたのだろう、か?演奏者2人の音は確かに不思議を感じさせていた。と思う。